レゲエとは何か。
どうして開発途上国の人口約200万人の小さな国が、これほどまでに印象的で楽しめる音楽を大量に生み出すことができるのか。
ジャマイカでは「毎日新しいスターが誕生する」と言われている、それは事実であるが、一体どこからそのスターたちはやってくるのか。
レゲエ好きはジャマイカを訪れるとラジオを聴くが、そこで聴こえてくるのは、彼らが好きなレゲエではなく、ソウルミュージックやレゲエのスタンダード曲のアップテンポなバージョン、たまにレゲエの古い曲が流れてくるだけだ。
最新のヒット曲や新譜を聴くには、週末のトップ40のような番組しかなく、ジャマイカのラジオ局はレゲエを積極的に推していないのだ。
もしかすると、コンサートやライブパフォーマンス、小さなレゲエクラブでのオールナイトのジャムセッションが鍵なのか。と考え、レゲエ愛好家たちはミュージシャンが集まる場所を探そうとするが、そんな場所は存在しない。
レゲエはジャズやロックのような「ライブミュージック」のジャンルではなく、音楽はスタジオで制作され、レコードとしてリリースされるのだ。
レゲエの創造的な制作はどこで行われ、アーティストのアイデアはどこで観客に届くのか。それはレコードショップだけなのか。
気づいているかもしれないが、我々はレゲエはダンスホールで発展したと考えている。ジャマイカのダンスでは、レゲエのレコーディングビジネスと観客がとても奇妙でユニークな形で出会う。ダンスホールのシステムを理解することは、レゲエの多くの謎を解くことにつながる。すべてではないが、多くのことを理解できる。
一度でも最新のダブプレートがスピーカーから鳴り響くサウンドシステムを体感したなら、自宅のオーディオで何年も聴いているよりも、はるかに深くレゲエを理解できるだろう。
我々はこのことを自分たちの不十分な言葉で分析するのではなく、このプロセスに参加している人々の意見を聞いてみることにする。
1983年の秋、トッププロデューサーのジュンジョ・ローズのボルケーノ・サウンドシステムは、運用開始からわずか数か月で多くの注目を集め始めた。サウンドシステムの世界で非常に高く評価されるトップの地位を争っていた。
新しいサウンドとして、ボルケーノにはいくつかのメリットがあった。
最新の機材、厳選されたダブプレート、すべての新しいボルケーノテープの有用性、そしてBURRO BANTON(ブロ・バントン)やTOYAN(トーヤン)といったトップDJたちとLITTLE JOHN(リトル・ジョン)やBARRINGTON LEVY(バリントン・リーヴィ)のようなトップダンスホールシンガーたちの非常にタイトな仲間たちが揃っていたのだ。
ボルケーノ所属の他のスターアーティストたちも、時折ダンスに訪れる。そして何よりも、西キングストンのゲットーに根ざした彼らの存在が、「ゲットーの人々のサウンド」というイメージを表現している。
真のキングストンのダンスホールスタイルとファッションで、JAH THOMAS(ジャー・トーマス)、PETER METRO(ピーター・メトロ)、LADY ANN(レディ・アン)、TONY TUFF(トニー・タフ)、CHARLIE CHAPLIN(チャーリー・チャップリン)といった、現在のダンスホールシーンの中心的な人物たちもゲストスターとして登場するだろう。
この本(REGGAE INNA DANCEHALL STYLE)が、レゲエを内部から、つまりそれを作る人々の目線で見たときの一端をあなたに伝えられることを願っている。
もしあなたが「いつか本物のキングストンのダンスに行ってみたい」と思うようになったとしても、「レゲエのダンスに行くために数千マイルも旅をしてきた」と人々に話したときに、信じてもらえなくても私たちを責めないでくれ、我々も信じてもらえなかったのだから。 FORWARD!!