Burro Banton (3/4)

Burro Banton (3/4)

2024.09.14

「オレがDEEJAYとして、本当に世界を知りたいと思ってはいるが、今となっては難しいだろうな。オレはジャマイカをあまり離れないから。このDEEJAYビジネスにおいて、海外に行ったらジャマイカのスタイルが変わってしまうことに気づいたんだ。すると取り残される。なぜなら、海外ではファンキーやソウルが聞こえるかもしれないけど、オレのバイブスはそこにはない。ここにあるんだ。だからオレはここにいなければならない。そうして良いDEEJAYでい続けられるんだ。ここではスタイルは毎分変わるからな。オレが始めたのは8年前、DILLINGER(ディリンジャー)、TRINITY(トリニティ)、LEE VAN CLIFF(リー・ヴァン・クリフ)、RANKIN TREVOR(ランキング・トレヴァー)、U BROWN(ユー・ブラウン)、そして偉大なユー・ロイ(U ROY)など、オレの前には数々のDEEJAYがいた。オレはただDEEJAYの姿勢が好きだった。だから、ほとんどいつもそうしたダンスに行った。行くと、9時に行って3時まで離れない。DEEJAYがどんな動きをするかただ見続けるんだ。そして明日、何かにそれを試してみる。それで徐々に、自分のサウンドができあがる。」

「ある晩、実は酔っぱらったことがあった。リキュールを飲んで、最高のDEEJAYになりたい気持ちになっていた。最初に歌いたいサウンドは、小さなサウンドでルーツ・アンリミテッドという名前だった。JOSEY WALES(ジョジー・ウェイルズ)と一緒に。今ではたくさんの友達がいて、『彼らはタフでハードだ…』と言っている。だけど、徐々にオレはまだちょっとシャイだった。大きな大会には参加しなかった。」

「また別のある晩、ジャマイカで最初のコンペティションが行われたスケートランドに行った。友達が『出るの?』って言ってきて、徐々にそこにたどり着いて出場したんだ。初めて大きな拍手をもらった!初めて出場して3位に入った。BRIGADIER JERRY(ブリガディア・ジェリー)が優勝、NICO DEMUS(ニコデマス)が2位で、オレが3位だった。それは約5年前のことだ。それでもなおオレはまだシャイだった。スケートランドに行くと、多くのダンスが行われている場所で、『Burro、マイクを握らないの?』って言われたんだ。そしてオレは『まあまあ、、みんな待って…』って言わなければならなかったんだよ。」

「オレは本当にシャイだったんだが、ある晩、ジェミニ・クラブに行って、たくさんのDEEJAYを見た。またもやリキュールを飲んで、酔っ払っていて… またまわりのみんなが『Burro、マイクを握れ』って言うんだよ。そしてオレがマイクを握ったら、全体が火がついたようになった!GEMINI(ジェミナイ)サウンドのオーナーがオレに『DEEJAYで仕事したいか?』と聞いてきて、オレは『そうだな』と答えたんだ。それからオレは徐々にあちこちで歌う機会を見つけて、当時のオレ以上に認知されているDEEJAYたちの中で歌える機会を見つけたんだよ。そしてどこへ行っても、『お前は他のやつらより上手い、こいつよりも、あいつよりも…』という声が聞こえてきた。そして結局、オレ一人でジェミナイで約9ヶ月働いた。だから、ジェミナイでの練習がオレにさらに自信をつけさせ、オレはそれに夢中になったんだ。今夜、寝る前に音楽を聴かないと眠れないんだ。ダンスに行かないと眠れないんだよ。オレは本当のことを言う、もしオレが死ぬなら、それはダンスホールでだろう。オレは本当にそれが好きなんだ。オレは絶対にDEEJAYをやめない。」

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